2009.11会員顔写真 027.jpg藤本範行

 今年1月5日、「春高バレー」の視察と応援に上京した時のこと。応援した都工は、一回戦で東海大第四校にストレート勝ちし、順調な滑り出しを見せた。今回もベスト4以上が期待されたが、二回戦で東京代表の東洋高校と対戦し、惜敗した。ショック!すでに9日(最終日)に帰る切符を買っていたので、明日をどう過ごすか、思案した。

 急きょ米沢行きを思いつき、米沢上杉ロータリークラブ(RC)会長の古山さんに電話すると「今日も米沢は、雪が随分と降っとりますよ!」とのこと。それを聞いて、心は一気に雪の米沢に・・。東北新幹線に乗り、那須塩原を通過したころから雪景色に変わった。安達太良の山並はかなりの積雪が見られ、白銀一色に包まれている。福島駅からは、山形新幹線に変わり、在来線の奥羽本線を走る。上野から、なんと2時間半で米沢駅に着いた。

 にこにこ顔の古山さんには、駅まで出迎えいただいた。彼とは三ヶ月ぶりの再会だった。雪の積もった街を車で探索して、昼食後は小野川温泉の「河鹿荘」に。この宿は、二年前に来た時に、温泉とお昼をご馳走になっており、二度目だった。また行けるだけでも楽しみなのに、初めて雪が降る温泉の露天風呂にはいれると思うと、気分はわくわくだった。

 

20110315.jpg20110316.jpg

 

 

 

 

 

 

  純白の雪を載せた庭木や石に囲まれた湯舟からは、降る雪に負けじと湯けむりが立ち上っていた。屋外に出ると、一瞬凍るほどの寒さに身震いしたが、湯舟のお湯は熱くて、しかも心地よい。じわぁっと温まった時の快感は、なんとも言えない安堵感に変わる。南国宮崎では、決して味わうことのできない風情を楽しみながら、何度も出たりはいったりした。軽雪を背中に感じながら、庭木に積もった真っ白な雪を手に掬って口に入れると、それは氷の綿菓子のようで、一瞬のうちに冷たく消えた。そのうち、あまりにも長風呂になったので、先に風呂から出た古山さんが、心配して「大丈夫?」と様子を見に来てくれた。

 

20110318.jpg20110320.jpg         

 

 

 

 

 

 

  湯上がりに、女将さんから案内していただいた処は、ガラスの格子窓越しに、池のある庭の雪景色がみえる小部屋だった。そこには、細長く洒落た器に盛られた米沢の伝統野菜の一つという雪菜(雪の下に育つ野菜)のふすべ漬けや、独特の高菜漬けが用意されていた。風味のあるお漬物をおつまみに、いただいた米沢の銘酒『十四代』の味は、澄みきった甘さと香りが爽やかで、私には勿体なかった。一生忘れられない至福のひと時が過ごせた。去年高鍋に来られた佐藤雄二社長に会えなかったのは少し残念だったけど、奥様である美人の女将さんに心づくしのもてなしを受け、帰りは寒さも忘れて、さわやかな気分で温泉を後にすることが出来た。次に米沢を訪問する時は、是非とも一泊したいものだ。

 

20110319.jpg20110317.jpg 

 

 

 

 

 

  夜は、斎藤洋一さん(国際奉仕委員長)が、仙台から豪雪の山道を帰ってきてくれて、古山さんと三人で会食することになった。橋口親睦委員長から、「米沢に行ったら、たちまち連絡が回って皆さんが集まり、もの凄い歓迎を受けた。」と聞いていたので、古山さんには斎藤さん以外には連絡しないようにお願いしていた。斎藤さんには、出張先からわざわざ気の毒であったが、三人で一緒に食事ができて、楽しく飲めそうで本当に嬉しかった。古山さん経営の店『ふる山』に行くと、なんと米沢牛のすき焼きをはじめ、たくさんの郷土料理が用意されていた。斎藤さんの「地元の者でも、こんな贅沢なすき焼きなんて滅多に口にできませんから」との言葉に深くうなずきながら、美味しい料理の数々を堪能させていただいた。ここで出された山形のお酒『雅山流』も、米沢の高級郷土料理にぴったり合っていて、ほどよく酔いしれた。楽しい会話はさらに弾み、夜更けまで尽きなかった。

 

20110321.jpg 20110322.jpg 

 

 

 

 

 

   昨年十月末、米沢上杉RCのメンバー12名が宮崎・高鍋に来られた時に、ゴルフをされない古山さんと斎藤さんのお二人には、日南海岸の観光案内を少しさせてもらっていた。とはいえ、今回の身に余るもてなしには恐縮するばかりで、お礼の言葉も見つからなかった。古山さんと斎藤さんの心からの歓迎ぶりと、熱きもてなしには脱帽するのみである。

 改めて、米沢上杉RCと高鍋RC間の伝統的交流の素晴らしさ、ご縁の深さに感謝した。この縁の始まりにさかのぼると、このような有り難い縁のきっかけを築いたのは、上杉鷹山である。わが高鍋藩の秋月種茂公の弟である鷹山公の、米沢藩における想像を絶する努力と、その人間的偉大さには心から敬服したい。感謝の手を合わせるばかりである。鷹山公の、万人に通じる尊い教訓を尋ね、その認識を新たにすることが、今の時代に求められている。今回の米沢訪問の唯一の土産に「なせば成る・・」の色紙を買った。

  鷹山公御真跡「なせば成る」の御歌

「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人のなさぬなりけり 」

 

20110323.jpg 東京オリンピックで「東洋の魔女」を金メダルに導かれた大松博文監督(関西学院大卒)は、私の大先輩であり、大変誇りに思っている。大学生になった当時、この方から戴いた色紙には「なせば成る!」と書かれていた。恥ずかしい話だが、長い間この名言は大松監督の言葉だと思っていた。実は大松さんが、鷹山公の句を自分の信念としておられたのだ。これが、高鍋高校男子バレー部の応援幕の文字を「なせば成る!高鍋」とした所以である。

 北国の人々の雪にかかわる苦労も考えずに、私が米沢で楽しんだ雪は、その後も降り続いたようだ。二月半ばには2m近くまで積もったという。毎朝、屋根の雪下ろしに始まる東北の人々の、仕事以外の重労働を思うと、本当に頭が下がる。仕事に出る前に、人知れず道路の雪かきをする。その雪を軽トラックで河川に運ぶ。河川敷に山のように残った大量の雪は大きな氷の山となり、完全に融けてしまうのが、6月になるという。厳しい自然と向き合い、黙々と苦労しているからこそ、旅人に温かく優しく接することができるのではなかろうか。今回の突然の旅で、その意を強く感じることができた。一方、宮崎では、新燃岳噴火の火山灰に苦しんでいる。この自然との闘いも大変である。

20110324.jpg20110325.jpg