新世代委員長 河原好秋

2009.11会員顔写真 010.jpg副   委  員 長  日髙 茂

 第1660回例会に、高鍋高校のラグビー監督をされた黒岩正春さんをお招きして卓話を頂きました。

 簡略してご紹介しますと、出身は高鍋町で、高鍋高校在学時は駅伝部員で活躍され、全国大会では花の1区を走り第3位の成績を残されております。宮崎大学卒業とともに母校の高鍋高校の教師として迎えられました。

 高鍋高校ラグビー部は、これまで花園に18回の出場を果たしており、黒岩さんは初回を含め7回にわたり監督として生徒達を花園のフィールドに立たせ、ランニングラグビーを全国に認知させられました。

 指導方針は、生徒達に考え実行させることに徹底され、実際の行動も何事にも情熱を持って全力で取り組まれたことから、高鍋ロータリークラブのメンバーを含め、社会で活躍している卒業生の多くが恩師として慕っておられます。

 本20100905.jpg日の卓話の要旨は、高鍋高校教師を拝命された当初は、バレーボール部、山岳部員との登山、水泳部員と県大会出場などと係わり、昭和38年4月にラグビー部顧問を仰せつかった、その時のラグビー部員は4・5人でネットに向かってボールを蹴っている位の状況であったことから、部員集めのため背の高い生徒などに対してラグビー部への勧誘を積極的に行っていました。

 特に身体測定時は部員候補選びの好機であると捉えるなど、部員集めにかなり苦労がありました。なかには野球部を退部した生徒がラグビーで開花した者も多数おります。

 昭和38年9月に宮崎県で優勝したが、当時はこれだけでは花園に出場できず、宮崎県のレベルが低いこともあり鹿児島や大分県と試合をして力をつけて来るようにとの指導を受け、結果として宮崎と大分県で東九州ブロックが形成された。

 もともと、駅伝の出身ですので、当時は汽車(JR)に乗り色々な所に行き試合をさせてもらい勉強をしました、その時代は行き先の駅とグランド間の往復は全て徒歩で、土・日曜日は農大の芝張りのグランドを借りて練習したが、その時の昼食は自分で作った握り飯を持ってこさせるなど、何事も自分で行うことの大切さを学ばせました。

 学校での生徒との関わりは教室と部活でも同じ顔ぶれであることから、楽しい授業はどの様にしたら良いのか生徒たちに考えさせた。一例は、教室でのラグビー部員は最前列に座らせるなど、常にマンネリ化しないことに最大の留意を払った。 自分自身が情熱を持ちタギッて前に進むことで、子供たちを夢中にさせタギらせることが肝要と考え行ってきた。

 今は、高鍋高校で鍛えられた生徒が大学卒業後地元で頑張ってくれるのが一番の幸せです。

 

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