汪南雁

2011~2012高鍋ロータリークラブが受入れた中国からの奨学生 汪南雁(おうなんがん)さん

私が宮崎を訪れたのは、2006214日に宮崎大学を受験するためでした。念願かなって宮崎には大学・大学院の6年間を過ごしたことになります。
友人・知人から何故宮崎を選んだのと聞かれますが、私の答えはいつも同じでした。それは、青い空に緑豊かな自然が広がり、人々もまた皆優しかったからです。
宮崎の自然と言えば、バイパスのフェニックス、青島の海、綾の照葉大吊橋、都井岬の馬、高千穂、サンメッセ日南などたくさんあります。このような素敵な自然の中で勉強出来たことは本当に贅沢なことだと思っています。そして、それらはすべて私の思い出のアルバムに入っていることも非常に嬉しく思っています。

今、宮崎での6年間を振り返ってみると、本当に優しくて面倒みのよい方々にお会いでき助けられことです。
勉学面においては、宮崎大学の先生方がいつも丁寧に指導していただき、無事卒業することが出来ました。
そして、現在、私は高校で非常勤ですが教鞭をとれるようになりました。これも宮崎大学在学時にご指導いただいた先生方の助けと応援によるものと感謝しております。
加えて、生活面においては、国際交流で知り合った皆様、そしてアパートに住んでいた時に知り合った近所のおばあちゃんたちには、本当にいろいろお世話になりました。
また、精神面においては、奨学金を通して知り合ったロータリーの方や、学校の先輩方、アルバイト先の先輩方に悩みを相談し、先輩方の人生経験を聞き、日本の文化を学ぶことで、自分の世界観と価値観を形成してきました。
このように、私は6年間素敵な日本の方に囲まれ、支えられていたのだと痛感しています。
素敵なこともあれば、辛いことももちろんありました。
例えば、私たち私費留学生は日本での生活を維持するにはアルバイトをしないといけません。
しかし、大学の周辺には受け入れてくれる店が極めて少ないので、アルバイト先がなかなか見つけられませんでした。
ちょっと遠いところになると、また、交通手段がないという問題も出てきました。
求人案内やチラシ等を頼りに店に電話したら外国人という理由で断れることはよくありました。
それは一回や二回ということではなく、十回も二十回も断られることも幾度となく経験させられました。
これらのことは当時の私からみると、確かに不便で大変なこととしか見えませんでしたが、いつの間にか、私はそれが自分を鍛えるチャンスでもあると考えるようになっていました「人生でやって無駄なことはないはずである」です。
周りの環境があまりよろしくない時は、周りへの要求を最小限に、自分を磨くことを最大限にすればいいと思いました。
つまり、辛いことの中から、勉強になるものはきっとあると思うようになりました。こういう考えができるようになった自分が少し 成長したと感じています。
このように、宮崎は素敵な自然を見せてくれて、素敵な人を会わせてくれた。そして、私を支え、私を成長させて、私により高い目標まで案内してくれた土地です。宮崎への感謝を心に秘めて今後とも頑張り続けて行こうと思っています。
これからも第2の故郷宮崎から、あたたかく見守って頂くと嬉しいです。